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父の命日によせて

 2001年7月9日、私の父は亡くなりました。50代半ばで脳梗塞に倒れ半身不随になったものの杖をついて歩けるまでに回復し、仕事はリタイアしたけれど家族みんなにケアされて約20年間自宅で療養していました。
毎日のように私達のcaféに母の運転する車でやってきては窓側の“指定席”に座りコーヒーを飲むのが楽しみでした。2001年2月28日、店に来た最後の日です。その3日後リハビリから戻って急に意識を失くしました。たぶん何の苦痛もなく睡魔の極限のような倒れ方だったようです。

 いつも通っていたT病院に入院し3ヶ月後の5月末にはそれ以上の回復の見込みがないということで“治療”から“経過観察”への切り替えとなり転院することになりました。
T病院では毎日歯磨きをしてもらい何日かに1度はお風呂に入れてもらい時々車椅子にのせられて散歩につれていってもらい・・・と本人にはっきりした意識はないものの希望が持てる毎日だったのかもしれません。

 人は口からものを食べられなくなったら自発的に“生きている”と言えないのかもしれませんね。一時は流動食になったのですが下痢が続いたので再び点滴での栄養補給に戻された父は無言の抗議をしたのかもしれません。
転院先は私には“死に向かう人のための病院”と感じられました。父もたぶんそう感じたのでしょう。私には父がこう言っているのが解りました。

「やーめたっ!治って家に帰れる可能性がないんなら、ただここで命を永らえたってつまらないさ! もう やーめたっ。おっしまい!」

何事も前向きだった父はそうやってあっさり幕を自分で引いたような気がします。私にはそんな父の“意思”が伝わりました。寝たきりで長い間シモの世話をされ、介護する家族も疲れ・・・そんなケースが世の中にはたくさんあるでしょう。けれど、家族にそんな苦労をさせることなく父は逝きました。子供である私と弟には父がそうしたかったのだということが解りました。
でも母にとっては少し違ったようです。話す事ができなくても、意識がなくても、姿がそこにあるかぎり母にとって父は生きていたのです。そんな姿になっていてもいつまでも生きていてほしかったのです。いや、“一緒に生きている”ということだったようなのです。

「死ぬときには一緒に逝きたかったな。」
母は言いました。

 人が最後の時を迎えるときに一番傍にいて欲しい存在は伴侶なのだということを父の死を経験して学んだような気がします。血のつながりのない他人同士が夫婦となったそのつながりは最後には一番強い絆なのだと感じたのです。

 もちろん例外はあります。そもそも組み合わせそのものが間違っていたり途中で枝分かれしてしまったり・・・。けれど誰しもたった一人で寂しく死んでゆくことをよしとはしないでしょう。願わくは愛するものたちに手を握られながら旅立てたらと思う人が多いと思います。

 私が両親を見てこういう価値観を持つに至ったのは両親の夫婦のあり方とそれをどう感じるかという私自身の感性からくるものなので、必ずしも正しいわけではないしそれぞれにとっての“正解”があるのでしょうから人に押し付ける気はありません。

 母は父が亡くなる前から始めていたフラダンスをライフワークに毎日のんびりと母らしく暮らしています。もともと音楽の資質に恵まれた母は、あれよあれよと言う間に上達し3年目くらいには先生の代役を勤めるほどになりました。父は生前そんな母の発表会に行くのが楽しみで、人目をはばからず「ママが一番上手いな~!」と大きな声で言うので私達はハラハラしたものです。今もきっと天国から母の踊る姿を眺めてはニヤニヤしてゴキゲンなことでしょう!
私達家族は父の最期まで意識がなくとも毎日語りかけ手をさすり大切にしたので「あぁすればよかった」という後悔はありません。でも時々天国の父に問うてみるのです。

「パパ、幸せだったよね!?」と。

もうすぐ5回目の命日がやってきます。
by madomado127 | 2006-07-06 14:33 | ふつうの生活
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